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評者◆相馬巧
作曲からの断絶――作品の歴史と批評(2)
No.3508 ・ 2021年08月14日
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■W・ベンヤミンとTh・W・アドルノにとって、作品の批評とはその作品の歴史を構成し直すことであった。彼らは、「勝者」として捉えられる作者像に基づき、いかにその人物の創作活動が想像的なものであるかを明らかにしようとする単線的な歴史記述を批判した。
過去と現在は切れ目なく直接に結びついたものとみなされ、その画一化された枠組みの外部が許容されることはない。そうして、過去をめぐる思考もまた均質なものとなる。であるならば、現在において芸術批評とはいかにして可能であるのか。この問題をベンヤミンの歴史哲学に照らし合わせて考えたとき、現在と過去のあいだに断絶を見ること、そして「敗者」の歴史を描くことがその重要な契機とみなせる。彼らの言う歴史の再構成という営為は、人間の思考を再起させる試みとも言えるだろう。 前回論じたように、R・タラスキンの『オックスフォード西洋音楽史』では、統一された歴史観に対する批判的な姿勢が見られるものの、徹底した相対主義に貫かれている点にいくつかの問題が見て取られた。いまいちどこのことを整理しておこう。 (1)判断の契機が徹底して排除された歴史記述。史料を豊富に提供し客観的な分析を行う一方で、歴史像の統一を回避するため、歴史家からのあらゆる決定を排除している。 (2)従来の楽曲分析の手法を繰り返す悟性的な記述。すでに体系化された法則に当てはめ作品を分析しているが、それぞれの作品の分析に向けて新たな法則を構想することはない。言うなれば、カント的な意味での理性的姿勢が見受けられない。 (3)統一なき網羅的な歴史記述に向けた哲学的な理論武装の無さ。C・ギンズブルグの「ミクロストリア」やベンヤミンの「年代記」など、タラスキンの叙述を理論的に補強しうる有力な言説はいくつか存在しているが、それらは全く参照されていない。 まず(1)に関しては、それまでの作曲家の主体――ベンヤミンの言葉をもちいれば「人間的な」もの――に依拠した音楽史記述のあり方が、現代において不可能になったことに対する生体的な反応とみなすことができる。つまり、このタラスキンの歴史家としての鋭敏な判断が、彼の客観的・論理的叙述に「非人間的な」ものを立ち現れさせる契機となった。ところが(2)と(3)にあるように、このことを積極的な条件とみなすことはなく、また分析の手法ならびに記述のマクロな方針へと還元されることがない。 しかしベンヤミンによれば、まさにこの「非人間的」なものは、二十世紀以降の社会のなかで「敗者」の歴史を描く重要な契機とみなされる。「人間的」/「非人間的」の対比は、彼の一九三三年の論考「経験と貧困」に見受けられる図式であった。ここでベンヤミンは、第一次世界大戦後のヨーロッパの状況、さらにはナチ党の政権獲得といった未曾有の危機的状況を前にして、それまで人間が身をゆだねてきた経験の相場が急激に下落したことを指摘する。ここで言う経験とは、「たえず繰り返し年上の世代が年下の世代に受け継いできたもの」と述べられる。いわば、以前のヨーロッパでは、歴史から直接に与えられる経験を自身の処世に生かすことが一種の道徳とされていたのだ。ところが、二十世紀以降の人間にとっては、「経験の貧困」という「新たな未開状態」が不可避的に与えられる生の条件となる。ここでは、道徳もまた新たなあり方が求められるだろう。 経験の貧困――このことを、人間たちが新しい経験を切望しているかのように理解してはならない。彼らはいま、新しい経験を求めているのではなく、そもそも、もろもろの経験から放免されることこそを切望している。(……)彼らは何もかも、「文化」も「人間」も、ありとあらゆるものをむさぼり食ってしまって、すっかり満腹したあげくうんざりしている。(「経験と貧困」、『ベンヤミン・コレクション2』所収) こうして人間は、過去から相続され、それまで道徳的に善いものとみなされてきた文化財やヒューマニズムの理念に対する「倦怠」を感じるようになる。まさにタラスキンの歴史的相対主義の姿勢には、同様の「倦怠」を見て取ることができるのではないか。過去に対する歴史家のあらゆる決定が欺瞞となった現代において、彼はこの決定不可能性へと従順に従い、相対主義へと引き下がる。しかし、ここで重要なこととは、歴史家がその決定不可能性を十全に引き受け、時代の省察とともにいまいちどひとつの決定を下すことにあるのではないか。 時代についていかなる幻想ももたないこと、それにもかかわらず無条件に時代の側に立つこと、これが彼らを特徴づけたしるしである。(同上) このような経験の虚偽が暴かれた時代であるという認識は、ベンヤミンが同時代の芸術作品に見た「アウラの凋落」という診断につながる(柿木伸之『断絶からの歴史』第八章を参照)。論考「複製技術時代の芸術作品」に登場することで著名なこの「アウラ」という言葉は、ごく簡単に述べれば物事の一回性であり、伝統的な芸術作品の礼拝的な鑑賞のあり方を形作っていたものである。ベンヤミンは、この時代の芸術作品においてアウラが凋落することで、予め付与された作品の神話的な意味が消失し、そして光や音といった感性的なものの束がむき出しなままに受容者に向けられると論じる。このことは、音楽芸術においても同一の現象が起きていると考えることができるだろう。 しかしベンヤミンは、この 時代の診断としてのアウラの凋落を、映画や写真などの複製技術によって登場した新しい芸術作品に見て取るばかりで、音楽をはじめとした伝統的な芸術作品(自律的芸術作品)における凋落は否定している。そのためアドルノは、この診断をめぐってベンヤミンに強く反発することになる。一九三六年三月一八日に留学先のロンドンからベンヤミンに送った書簡のなかで、アドルノは「複製技術時代の芸術作品」に痛烈な批判を述べるが、そのなかにつぎのような一節があった。 アウラ的なものが消失するのは、技術的複製が可能になることによってだけではありません。ついでにいえば、何よりも、芸術自体の「自律的な」形式法則Formgesetzが満たされることによってです(〔ルドルフ・〕コーリッシュと私が数年来企図している『音楽再生産の理論』は、まさにこのことを対象としています)。(『ベンヤミン/アドルノ往復書簡1928‐1940』) 『音楽再生産の理論』とは、アドルノがその生涯にわたって執筆をつづけながらも最終的には完成に至らなかった演奏論のことを指す。ここからは、引用にある「形式 Form」という言葉が、楽譜に記されたいわゆる「楽曲形式」を指すのではなく、演奏の場における感性的な音と音の連関を指すことが推察される。このことを前提とするとき、アドルノは、作品の形式を決して予め用意されたものとみなすことはない。むしろそれぞれの作品の形式を決定する「法則 Gesetz」自体を、作品によってその都度自律的に決定することこそが、「経験の貧困」の時代における音楽芸術の責務とみなしている。そうしてアドルノは、感性的な音の束へと向けるカントの実践理性――自律的な道徳法則を呈示する理性――の働きにいまいちど光を当てようとするのだ。 以上のような時代の診断に基づくなら、現代における音楽芸術とは『判断力批判』でいう悟性的な「美」の基準ではなく、感性と理性の結びつきとしての「崇高」のカテゴリーを基に判断されるべきものと言えるだろう。そして、こうした批評から構想される作品の歴史とは、個々の事例に対する「一回限りの連関」から立ち現れる歴史である。これは、統一的な通史ではない、それ以外の音楽史記述のあり方を示唆するものにほかならない。 (東京大学大学院博士課程) |
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