書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります
評者◆福島亮
今、カリブ海も熱い!――ルネ・マラン、マリーズ・コンデ……ボードレールさえも
No.3519 ・ 2021年11月13日




■一九二一年は何の年? と訊かれたら、私は断然、ルネ・マラン(一八八七‐一九六〇)のゴンクール賞受賞の年、と答える。マランはギュイヤンヌ出身の両親のもと生まれ、マルティニックで育った作家である。今から一〇〇年前、黒人として初のゴンクール賞受賞者となった。
 今年の五月、本連載で「今、ハイチが熱い!」と題してハイチの現代作家と詩人を紹介した(三四九六号)。今回は第二弾として、フランス語圏文学関連のできごとを紹介したい。
 ちなみに、本稿執筆時には、まだ今年のゴンクール賞は公表されていない(公表は一一月三日になされる)。現時点で四人に候補者が絞られているのだが、そのうちひとりはハイチ出身のルイ=フィリップ・ダランベールであり、もうひとりはセネガル出身のモハメド・ムブガル・サールである。後者の方は、アフリカ社会におけるセクシュアルマイノリティの扱いを題材とした前作『純然たる男たち』(二〇一八)を読んで気になっていたので、もしや今年の受賞者は……と、期待している。

 さて、まずは冒頭で触れたマランのゴンクール賞受賞一〇〇周年をめぐるできごとについて述べよう。一九二一年の受賞作は、『バトゥアラ』。舞台はアフリカの仏植民地ウバンギシャリである。書名は、小説の主人公であり、村々をまとめる屈強な首長バトゥアラの名に由来する。
 『バトゥアラ』の新しさは、被植民者の目を通して入植者を描き出した点にある。それまで白人入植者によって記述される対象だったアフリカを、無名の黒人植民地行政官だったマランが植民地の内部から描き出したことは、フランス国内で大きな論争を巻き起こした。
 ところが、『バトゥアラ』以外のマランの作品は、フランスでもほとんど読まれていない。L・S・サンゴールやエメ・セゼールといった後続世代は日本でもよく知られているが、その陰にマランは隠れてしまったのである。そのため、『バトゥアラ』以外の著作は復刊もされず、入手困難な状況が続いていた。
 今年、一〇〇周年をきっかけに、ようやくマランの著作に光があたりつつある。まず、作家アミン・マアルーフの序文が付された『バトゥアラ』新装版が刊行された。また、ながらく入手困難だった小説『他と違わぬ人』(一九四七)が復刊された。こちらの主人公はマラン本人を思わせる黒人青年で、白人女性への恋心を忘れられぬまま、植民地行政官になるためにアフリカゆきの船に乗る。このように書くとセンチメンタルな小説に思われるかもしれないが、じつは、フランスにおける人種差別を批判するかなり厳しい言葉が並ぶ小説でもある。本連載第一回目で紹介したオレリア・ミシェルの書物も日本語で読めるようになった(『黒人と白人の世界史』明石書店)現在、人種主義再考の動きのなかで、マランはアクチュアリティを持ち始めているのではないだろうか。
 小説だけでなく、書簡集も刊行された。マランと親友の作家マノエル・ガイスト(一八七八‐一九四八)とのあいだで交わされた書簡である。マランがアフリカへ向けて旅立った一九〇九年からガイストが亡くなる一九四八年までの手紙を収めた書簡集は、なんと八〇〇頁を超える大部である。
 ほかにも九月二六日には、ブックフェア「サロン・ド・リーヴル・アフリカン・ド・パリ」でマランへのオマージュが開催され、一〇月六日には、マランのゴンクール賞受賞を題材としたドキュメンタリー映画が公開された。そして今月五日には、元老院(Senat)で記念行事が開催され、私も参加することになっている。さらに、フランスでは現在、マランの作品に特化した研究チームが組織されている。これまで読まれてこなかった作家の全貌が明らかになる日も近い。
 ちなみに、『バトゥアラ』は、早くも一九二二年に邦訳が改造社から刊行されている(高瀬毅訳)。ただし、アフリカの儀礼を扱った場面は伏せ字ばかりなので、日本語で読むのは一苦労である。歴史的意義を考えるなら、新訳が出てもよいのではないだろうか。
 マランを植民地から発信されるフランス語圏文学の始点に据えるなら、第一次世界大戦前に生まれたセゼール(一九一三‐二〇〇八)は第二世代、第二次世界大戦前生まれのエドゥアール・グリッサン(一九二八‐二〇一一)やマリーズ・コンデ(一九三四‐)は第三世代となるだろうか。そんなコンデの最新作が、この九月に刊行された。タイトルは、『新世界の福音書』である。
 舞台は、海外県のとある島。復活祭の夜、ロバ小屋の藁の上に置き去りにされた赤ん坊を、ウラリという女性が発見する。ウラリはそれを奇跡と受け取って、赤ん坊を夫ジャン=ピエールとともに育てることにする。赤ん坊は世にも美しい顔立ちの混血の男の子だ。二人は彼にパスカルと名をつける。
 ここまで読んで、もしや、と思われた人もいるかもしれないが、本書は聖書の福音書をコンデ一流の筆致で書き換えたものである。ジョゼ・サラマーゴ『イエス・キリストによる福音書』(一九九一)や、J・M・クッツェー『イエスの幼子時代』(原著二〇一三、邦訳二〇一六)といった一連の聖書を下敷きとする作品の衣鉢をついで、コンデは混血の救世主パスカルを主人公に据える。
 熱帯の動植物や風景とともに、奇跡や預言、パスカルの旅が描き出されるのだが、しかし本書は聖書の単なる熱帯化ではない。「私はどこからやってくるのか。この地で何をするのか。私はどこへ行くのか」。ゴーギャンの絵画を思わせるが、これらは本書の中程、第一部の終わりで提示される三つの問いかけであ
る。その答えを探すために、パスカルは、労働問題、人種差別、女性解放といったアクチュアルな問題に関心を寄せる。
 「これが私の最後の作品になるでしょう」と、八七歳のコンデは本作をめぐるインタビューで答えている。病により自由に執筆することのできなくなった作家は、これまでにもそう公言してきた。そして、裏切ってきた。パリ同時多発テロに着想を得た『イヴァンとイヴァナの数奇で悲しい運命』(二〇一七)のときもそうだった。また裏切ってほしい、と強く思う。
 第三世代が第二次世界大戦前生まれだとしたら、第四世代は戦後生まれである。最後に彼らに目を向けよう。
 今年二〇二一年は、詩人ボードレール生誕二〇〇周年の年でもある。フランス国立図書館では、一一月三日から「ボードレール、メランコリックな現代性」と題した展示会も行われている。フランス文学を代表する詩人の一人であるボードレールだが、彼が「愛した」女性が、ジャンヌ・デュヴァルという白人と黒人の混血女性だったことも忘れないでおきたい。詳しくは、くぼたのぞみ『鏡のなかのボードレール』(共和国、二〇一六)が詳しい。ここで重要なのは、現代性(モデルニテ)の成立要件は、パリという都市だけでなく、当時のフランスが有していた無数の植民地でもあったということである。たとえば詩篇「白鳥」で、詩人はこう歌っていなかったか。「痩せさらばえた肺病やみの黒人女を、私は思う」(阿部良雄訳)と。
 引用した部分を含む一聯をエピグラフに掲げて、コンデの新作と同じく九月に書店に並んだのは、ラファエル・コンフィアン(一九五一‐)の最新作『シャルル・ボードレールの闇のミューズ』である。
 本書は、ある種の歴史小説だ。去年発表した『偉大なマルティニック・コーヒー』(二〇二〇)でもそうだったが、コンフィアンはカリブ海の知られざる歴史や、忘れられてしまった人々の歴史を掘り起こす創作活動をライフワークとしている(前作ではマルティニックにコーヒー栽培を導入した一八世紀の実在の人物が主人公である)。最新刊では、混血のジャンヌ・デュヴァルを通して、ボードレールの異国趣味や奴隷解放への無関心があぶり出される。
 ただし、個人的には、デュヴァルに生きた人間としての声を与えようとしたアンジェラ・カーターの『ブラック・ヴィーナス』(原著一九八五)の強烈さに比べたら、コンフィアンが描き出すデュヴァル像は強烈さに欠けるようにも思われた。ボードレールの暗部を暴き出す謎の女デュヴァル、という目的論的図式がコンフィアンの前提となっているからかもしれない。また、異国趣味は批判されて久しいので、小説の狙いがある程度予想できてしまうこともデュヴァルが目的化されているように感じる一因だろう。
 予想可能性という点からみると、ボードレールについて、これまで私が考えたことのなかった読みの可能性を提示してくれたのは、同じくマルティニック出身のパトリック・シャモワゾー(一九五三‐)だった。
 一〇月二四日、オルセー美術館で「ボードレール・ジャズ!」と題されたイベントが開催された。シャモワゾーが自身のテクストを朗読し、そこにラファエル・アンベールのサクソフォーンを中心としたジャズが混淆する(余談だが、このイベントでは、セリア・カメニの歌声が素晴らしかった)。
 はじめに「ボードレール・ジャズ!」というタイトルを見たとき、何を言おうとしているのかよくわからなかった。だが、シャモワゾーのボードレール読解によって、なぜ、ボードレールとジャズが結びつきうるのか納得できた。読みの例をあげよう。シャモワゾーは、『悪の華』の有名な詩篇「照応」(コレスポンダンス)を「関係」(ルラシオン)の詩として読む。
 「関係」という概念は、同郷の思想家グリッサンの鍵語である。征服や奴隷制、それによる人間の移動や移送によって、良くも悪くもこれまで出会ったことのないものが出会い、新たな世界が作り出される。このような動的なヴィジョンをグリッサンは「関係」ととらえる。それは、一なる者として振る舞おうとする西欧を相対化する試みでもあった。
 グリッサンと強く共鳴するシャモワゾーは、ボードレールが生きた時代が、まさしく植民地という「関係」の時代であったことを踏まえたうえで、「照応」を非ヨーロッパ世界へと開こうとする。「〈自然〉はひとつの神殿、その生命ある柱は、/時おり、曖昧な言葉を洩らす」(阿部訳)。この詩篇で描き出されるのは、まさしく一者としての人間が、多なる(あるいは他なる)生命へと開かれ、関係を取り結び、新たな世界が形成されるヴィジョンである。シャモワゾーは他にも、「ポリリズム」や「インプロヴィゼーション」といったジャズの言葉を用いてボードレールの詩篇に潜在する多なるもの=他なるものを引き出す。タイトルの「ジャズ」は、ボードレールのテクストに対するシャモワゾーのアプローチのことだったのである。

 九月から一〇月にかけて目に入ったフランス語圏関連のできごとを並べてみた。「フランス語圏」といっても、蓋を開けてみれば、カリブ海出身者ばかりになってしまった。これではフランス語圏のごくわずかな部分しか見えてこない。第三弾、第四弾も必要だろう。乞うご期待!
(フランス語圏文学)







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約