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評者◆稲賀繁美
戦時期の埃及幻想をめぐって――小早川秋聲《國之楯》と折口信夫『死者の書』と
No.3545 ・ 2022年06月04日




■小早川秋聲(1885‐1974)の大作《國之楯》は、2021年の回顧展で大きな話題を呼んだ。大戦末期に陸軍省の依頼で制作され、1944年2月に完成したものの、結局は受け取りを拒絶された、という問題作である。横たわる陸軍将校の遺体の装備は、おおよそ准士官野戦のそれに対応し、顔面を覆う日章旗への寄せ書きに見られる署名からは、川西航空の関係者数名が同定されている(植田論文)。「軍神」「大君の御楯」などの題名候補が抹消され、最終的に残された《國之楯》は、『万葉集』所収の防人・今奉部与曾布(いままつりべの・よそふ)の作として、戦時中に顕彰された和歌が典拠と推定される。「今日よりは顧みなくて大君の醜の御楯と出で立つ我は」(巻20:4373)。
 仰臥する正装軍服の死体は、ハンス・ホルバインの著名な《墓のなかの死せるキリスト》(1520‐22:バーゼル美術館)を想起させる。ドストエフスキーも『白痴』に登場させた作品で、秋聲も、少なくとも複製を通じて知悉していたはずの、他に類をみない異色作。だが秋聲の直接の発想源は、欧州行脚途上の埃及体験に由来する。帰国後の作品《エジプト・ミイラの回想》(1923‐4:個人蔵)のほか、《黙》(1931)と題されたミイラの棺桶を横から描いた作品も知られる。ともに暗闇に包まれた情景だが、とりわけ前者ではピラミッドが背後から巨大なシルエットとなって佇立しており、巨大な墳墓には、稜線の背後から三日月が覗く。奈良盆地なら三輪山が、なだらかな三角錐の山裾を描いている事実も想起されよう。
 「彼(カ)のヒトの眠りは徐(シヅ)かに覺めて行つた。まつ黒い夜の中に、更に冷え壓するものゝ澱んでゐるなかに、目のあいて
來るのを覺えたのである」。いうまでもなく、釋迢空こと折口信夫(1887‐1953)『死者の書』(昭和18=1943年9月30日初版発行)の冒頭である。当麻寺曼荼羅縁起・中将姫伝説を下敷きとした極めて特異な「小説」だが、「彼」とは非業の死を遂げた大津皇子。『日本評論』連載(昭和14年1月・2月号)を受けた書籍初版本の漆黒のラッパーには、金文字の題名のほか、表紙側には、仰臥するエジプトのミイラが描かれ、同じ壁画模写が扉にも拡大して反復される。さらに書籍本体には木乃伊棺の蓋が裏表紙に、蓋を開いた棺の空虚な内部が表表紙に、原色版寫眞により丁寧にあしらわれている。
 折口の『死者の書』は、語りの構造において現在能であり、古代の霊を招く鎮魂の複式夢幻能を踏まえるが、そこには《山越阿弥陀》の到来も幻視されている。それは、當麻曼荼羅の複製寫眞の傍ら、折口自らが本書冒頭を始めとして、都合4葉の《山越阿弥陀》寫眞版を挿入していることからも、疑いない。舞台となる二上山は、奈良盆地を挟んで、正確に三輪山の真西に位置する。
 周知の通り、古代エジプトでもナイル川を境に、ルクソールの西の対岸が死者の世界だった。『死者の書』の題名も、元来は古代エジプトの同名の書に由来する。折口の空想のなかで、古代エジプトは奈良盆地と重ね合わせになっていた。
 ここからいかなる仮説を導きうるか。一方で小早川秋聲の《國之楯》の背後に折口の『死者の書』が木霊していた可能性。他方では反対に折口の『死者の書』の意匠に、小早川の埃及幻想が投影されていた可能性。どちらも現時点では、これを立証するに足る材料には欠ける。とはいえ、戦時中のこの時期、身近な死者との相聞が切実な関心として浮上していたことは、否定できまい。そうした時代環境のなかで、両者が古代エジプトを結節点、共通の発想源として、ひそかに呼応する動きを見せていたことまでは、認められよう。
 さらに《國之楯》は、折口にとって、己を見舞うこととなる運命を予言する絵図ともなる。なぜなら、親密な関係にあった愛弟子、藤井春洋(はるみ)が招集を受けた折に、折口は春洋との養子縁組をすすめるが、その春洋は、硫黄島で1945年3月19日、38歳をもって戦死を遂げることとなるからだ。
 「今日よりは顧みなくて大君の醜の御楯と出で立つ我は」この歌が、万葉学者でもあった折口にとって、春洋の姿に投影されなかったとは考えがたい。さらにこの事実は、僧籍で戦場に立った小早川秋聲の《國之楯》が、現代の宗教画として担い得た鎮魂の任務をも逆照射する。
 ちなみに折口の『死者の書』初版の見返しには、「永和四年」の年記とともに「僧権」の文書が取られている。説明は一切ないが、王羲之『楽毅論』、双鉤 墨の技法による拓本であり、光明皇后の臨書が正倉院文書に伝わる。そこには「天下不幸之変」の文字も見える。或いはここに、戦時に対する折口の惻隠の情を忖度することも許されようか。

*『小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌』京都文化博物館、東京ステーション・ギャラリーほか、求龍堂、2021に取材。また植田彩芳子「小早川秋聲《國之楯》考――聖者として戦死者を描く」『美術フォーラム21』、vol.44,2021。植田氏、秋聲ご遺族の橋本順光氏に謝意を表す。なお本稿の着想の責は専ら稲賀に帰する。







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