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評者◆ぱせり
動いている小舟を岸から追いかけて、何とか足をぬらさないで、乗り込むことに成功した時のうれしさに似た読後感
郊外のフェアリーテール――キャサリン・マンスフィールド短篇集
キャサリン・マンスフィールド著、西崎憲編訳
No.3549 ・ 2022年07月02日




■短編14編と、中編がひとつ。
 誰の視点で語られているのか(その話は「わたし」の目でみたものなのか「あなた」のものなのか、全くの第三者的のものなのか)なかなか、わからない。なにかが起っているけれど、場所も、状況も、それがいつから始まったのかも、なかなかわからない(時々、現在の出来事、過去、未来の出来事が混ざり会う)。こういう短編小説を読む喜びは、動いている小舟を岸から追いかけて、何とか足をぬらさないで、乗り込むことに成功した時のうれしさに似ている。
 物語の主人公の多くはどちらかと言えば裕福で、ちょっと通俗的な満ち足り方をして登場する。彼らの幸福や喜びは、無防備で、利己的だ。しばしば、上から、下のものを見下している。けれども、すっと反転する瞬間がくる。その立ち場が変わるわけではないのに。何かの罰みたいに。空気がふと変わるような、微妙で繊細な描写。
 たとえば、『ガーデンパーティ』では、贅沢なパーティが開かれているが、実は、その間にあることが起きている。なんだろう、これ。二つの異空間が、同じ空間に投げ込まれて、何かがねじれたような感じ。
「彼はすばらしく、そして美しかった……みんなが笑っているあいだ、バンドが演奏をしているあいだ、驚くべきことがこの場所で起こっていたのだ」
 このあたりの描写が大好きで、切なくなるよりも、場にそぐわないけれど、一瞬、幸福感に満たされる。視点が、佇んでいる少女の側に戻る時、惨めさや恥ずかしさが戻ってくるのだけれど。
『幸福』の「その最後の一連の言葉を心の中で言っていたとき、なにかしら奇妙なもの、怖ろしいとすら言えるものが不意に形を成した」も、すごい。何のこともなく言った自分の言葉に、どきっとする。これまで考えてもみなかったことが、静かに進行していることが、知らずに語った自分の言葉のなかにあったのだから。そうやって気がついてしまったのだから。
『一杯のお茶』の「彼女は一ポンド紙幣を五枚取り出してしばらく眺め、そのうちの二枚をもどした」。
『見知らぬ人』の「暖炉の火は急いでいた――石炭の上で明滅し、小さくなった」。
『ミス・ブリル』の「蓋をかぶせたとき、何かが鳴いたような気がした」。
 どれも、詩的で、でも、胃がきゅっと縮まるような、瞬間の描写だ。
 一番好きなのは、『船の旅』。祖母と船に乗る孫娘フェネラ。父親が見送りにきている。なぜ二人が船に乗っていくのか、だんだん状況がわかってくる。そうか、フェネラのお母さんが亡くなったのか。おばあちゃんは、孫を引き取るために迎えに来ていたのか。そうした事情に対するフェネラの気持ちはほとんど書かれていない。書かれているのは、船室が思いがけないくらい狭かったこと。周りの大人たちの(まるで子どもなんかそこにいないかのような)会話を黙って聞いていること。預けられたおばあちゃんの傘をしっかり持っていなくちゃと思うようなこと。などなど。
 雑音みたいな出来事の重なりが、小さな女の子を、まわり中から支えているようだ。まっすぐ立っていられるように。今この時だけ。そうだったらいいな、と願っている。







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