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評者◆睡蓮みどり
ただあなたのそばにいたい――ペドロ・アルモドバル監督『パラレル・マザーズ』、『ヒューマン・ボイス』
No.3563 ・ 2022年10月22日




■新国立劇場でテネシー・ウィリアムズ原作「ガラスの動物園」の舞台を観にいった。お目当てはもちろんイザベル・ユペールである。彼女の演技を目の前で観てみたい。その一心だった。これまで映画のなかでしか観たことのないイザベル・ユペールが目の前で演じている。非常に早口のフランス語で、まくしたてるように、激しく、しかし優雅に喋り続ける彼女の不思議な重みと軽やかさの絶妙なバランスに惹きこまれる。舞台セットは始終アパートの一室。シンプルながらも見応えのあるシーンの連続に満たされながら劇場を後にした。早口のフランス語を理解できないので、ついつい字幕を追ってしまい、完全にステージだけに集中できなかったのが悔しい。
 名作と呼ばれる「ガラスの動物園」の、物語の面白さについてここでは文字数の関係もあり触れないが、本当に素晴らしい演技とは何かをしみじみと考えさせられた。根本的に、誰かの人生を覗き見たいという欲望は実はとても深いものなのではないだろうか。見知らぬ誰かが、自分の目の前で右往左往している。近しい友人でも、家族であろうとも、その感情の全てを見せるわけではない。むしろ、どちらかといえば近しいからこそ、隠すことによって人間関係を作り上げるのかもしれない。一瞬であっても、誰かの感情をまるまる覗き見ることができるのは根本的に楽しいものなのだ。目の前で「生きている」存在を実感させてくれるユペールはやはり素晴らしい。
* 
 『ヒューマン・ボイス』はティルダ・スウィントンの一人芝居だ。ジャン・コクトーのオペラ戯曲「人間の声」の翻案。これは映画であると同時に、舞台でもある。こちらもまたほぼ、アパートの一室を舞台にして描かれるのだが、そのアパートはセットであることがわかり、部屋の外に出ると、閑散としたスタジオのなかであることがわかる。部屋のなかは一見すると上品にコーディネートされ素敵でありながらも、細かいところに目をやるとおもちゃのような装飾品がちりばめられていてどこか過剰でもある。センスがいいとは言い切れない、そのアンバランスさが恐ろしく、また、物語に完璧にフィットしている。
 ティルダ・スウィントン演じる女性は、別れたばかりの恋人が荷物を取りにくるのをひたすら待っている。だが、その気配はない。やがて鳴り響く電話の相手は元恋人で、彼女は「電話だけで関係を終わらせるのはおかしい」と必死に喋り続け、未練を投げつけ、一瞬は冷静になり、また溢れてくる感情にのみこまれながらも喋り続ける。高揚しているせいもあるだろうが、彼女は決して惨めな感じではなく、むしろどこか自信に満ち溢れているようだ。私は最初、電話相手の元恋人が当然女性だと疑いもなく思っていて、あとであらすじを読んで元恋人が男性であると描かれており少々驚いたくらいだ。もちろん私の完全なる勘違いなのだが、妙な気分だった。
 本作を撮ったペドロ・アルモドバル監督は、私にとって最も信頼する監督の一人である。いつも完璧なカラーコディネート――赤や青、緑を基調としたアルモドバルカラー――が織りなす映画の世界に存分に浸る。アルモドバルの映画は本当に美しい。美しい俳優たちや素晴らしい美術、そういうものは表層のものではあるが、本質を表現するために必要な美しさなのである。完成された世界は、完璧さゆえにお互いを邪魔することなく、互いを屹立させる。そして映画という画面の上に作られた美しさやユーモアの奥には、いつも痛みが漂う。
 最初に見たアルモドバル作品は『オール・アバウト・マイ・マザー』だった。衝撃を受け、いまも私的ベストテンに入れている映画の一つだ。予告を観ただけで涙が出てくる。アルモドバルといえばこの作品を含めた「女性賛歌3部作」があり、女性性をテーマにした作品も多い一方で、自身の幼少期の体験を元にしたという『バッド・エデュケーション』では神学校で起こる性的虐待と同性の友人との関係をテーマに描いた。

 最新作『パラレル・マザーズ』では、同じ日に女の子を出産したふたりのシングルマザーが主人公となっている。カメラマンで自立した女性のジャニスと、まだ18歳のアナ。舞台女優であるアナの母親。母、娘、妻、という女性の“属性”に「女優」という存在を加えるのがアルモドバルだ。不倫の子、レイプの子、という不遇からはじまる物語にも、ふたりは悲劇のヒロインになることもなく淡々と新しく始まる人生を歩もうとする。不倫相手のアルトゥロから「未来の計画にしてほしい」と言われたジャニスが、いまがその未来なのだと言い切ることや別れを選ぶこと、父親が正確にわからないというアナの状況を聞いたジャニスが「それはレイプよ」と言い放ち、ようやくアナがぼんやりと自覚するところなど、素晴らしいシーンがたくさんある。
 それぞれの子どもを巡って驚愕の事実が発覚し、ジャニスとアナの関係にも当然影響する。これまで築き上げた関係が壊れるとわかっていても、みんな傷つくことは承知で、子どもという未来を優先する強さ、真実を語るその瞬間の脆さや危うさ、その全てを体現したペネロペ・クルスの表情に胸が何度も苦しくなる。また、この物語のはじまりとおわりには、スペイン内戦と先祖を弔い慈しむ行為が描かれる。それは、ジャニスとって過去の物語ではなく、いまも続いている物語なのだということを示す。

 アルモドバルは映画のなかで女性たちを辛い状況におくが、それは決して彼女たちを不幸のどん底に陥れて楽しんでいるのではなく、一緒に悲しみ、怒りを感じているのだと伝わってくる。だから、もがきながらも自立しようとする彼女たちは常に美しいのだ。対象化した女性像はなく、自らが女性に憑依しているからこそ描ける表現というものがあるのかもしれない。そこからは限りなく女性という存在へのリスペクトの念が感じられる。
 『ヒューマン・ボイス』のラストシーンで、主人公の女性は犬と一緒に、扉の外にある、文字通り外の世界へと向かう。『パラレル・マザーズ』では、ジャニスとアナ、幼い娘、そしておそらくジャニスのことが好きな親友のエレナも一緒に、ジャニスの先祖の骨の前に立つ。本来ならそれぞれ抱えた複雑な感情から、血みどろの関係になるかもしれないのに、それどころか手をつなぎあうように一緒にいるのだ。ああ、これだ。互いに私は私という個でありながら、その痛みは、喜びは、痛いほどよくわかるから、だから、相手を罵倒するのではなく手をつなぐのだ。その姿から、こんな声が聞こえてくるような気がする。
 いつだって、思い通りになんていかなかったじゃない。人生ずっとそうだったじゃない。だから、いまあなたが私の思うような回答をくれなくたって、私を傷つけたって、私(たち)はそんなことであなたを嫌いになったりしない。あなたが生きている。だから、いまは、ただあなたのそばにいたい。
(俳優・文筆家)







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