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評者◆凪一木
その166 帰郷2 父のこと
No.3567 ・ 2022年11月19日




■帰郷して妙な話を聞いた。一六年ぶりの帰郷であるが、八年前の葬儀にも出席しなかった死んだ父に関する、嫌な話である。葬儀にも出ていないのだから、あれこれ批評する資格が私にはないとも言えるが、あると言えばある。
 本が出ることになった。ホームグラウンドとも言える映画の本としては、九年と四カ月ぶりである。一度頓挫しているゆえに、やっと漕ぎ着けたという安堵がある。そこには、父の死についても記している。かなり辛辣なことを書いているつもりだ。いや「つもりだった」と訂正させてもらう。
 二〇〇一年に『三文がん患者』(太田出版)という半生記を出している。そのときにも、父について書いた。一生一度も仕事をせずに今なお生きている男とありのままを書いた。それを読んだ父が、「悪く書きやがって」と言ってきた。「本当のことを書いただけだろ」と返すと「そりゃそうか」と。
 そんな男であったから、少々の嫌なことを聞いても私は驚かない。弔辞で、弟は目一杯の父の悪事を書いたという。ところが父の友人がそれを見て、「まだまだ沢山あるだろう。もっと書けよ」と言って書き足させた。その友人ですら、父の本領発揮の時代の友人ではない。本領時代の友人は皆、借金や犯罪で町から出ているか、野垂れ死にしている。父が死んでホッとしたのは、母だけではなく、私などは本気で喜んだ。ここに書くのは世間体もあるから、その程度にとどめておく。
 人は、少々満足したら、人より何かについて上回ったと思うと、たったの一瞬だけ、その限りにおいての勝利や栄光を掴んだりすると、以前の自分を忘れ、それ以外の世界について知らない自分をも顧みず、或いはその価値の小ささにも気づかずに、威張ったり、憐れんだり、時には差別したり、調子に乗る。だが、それが繰り返されて異常な増幅をしない限りは、反省の余地も引き返すチャンスもあり、修正可能でもある。
 だが、アドバイスを聞く耳を失ったり、アドバイスする人間自体が離れていき、裸の王様状態になってしまうと、馬鹿丸出しで手の付けられない独裁者となっていく。我が儘の許容される範囲は、せいぜいが家族や家族的共同体でしかない。それは、「ダメさ」を許し、庇い、隠し、償う作業である。それが会社や地域やもっと大きな、或いは利益の絡んだゲゼルシャフト的関係においては、偽りの許容であり、もしかしたら罠でしかない。父は罠に引っ掛かって生きて死んでいった。
 我が儘な人間は、破滅を同時に抱え込んでいる迫力がある。自身ですら知らない恐怖をも、周囲には見せている破廉恥さと無様さがある。片方の足首にボルトを入れていた父。足を引き摺って歩く障がい者でもあったから、同情されて育った点も大きな理由だろう。昔から父ともども「びっこをひく」という言い方しかしてこなかったし、「足を引き摺る」では、正確な描写の感じが全くしない。何しろケンケンをするようでもあり、飛び跳ねているようでもあり、決して引き摺って歩いてなどいない。
 五〇歳を過ぎ職業訓練校に通っていたとき、私にすり寄ってきた友人がいた。同じ匂いを感じたのだろう。彼からのメールだ。
 〈父は船乗りで機関長をしていた。私が生まれた年に乙長の免許を取得した。このとき鹿児島県で七人目というものだった。当時ニッショウ汽船という一流会社に務めていたがこの資格取得で子会社のカノウ汽船に移って二〇〇〇トン級の機関長となった。それを生涯誇りにしてた。ところが、直情型の性格が禍し退職。本人はキャリアと資格があるからと思っていたらしいが折からのオイルショックで目論みは破綻する。最後は芝浦のタグボートまで身を落とした。プライドが高く性格的にも難があり、また頼りのキャリアと資格が逆に邪魔したともいえる。うつ病を発症させ酒乱と奇行で一家離散のハメに陥った。お袋は東京に出奔し、離婚手続きを私がやった。出刃を持って親戚の家に押し入るなどする厄ネタで、精神病院に入れて出られなくする手続きも私がやった。七年前に他界したときは正直肩の荷がおりたよ。親父の二の舞は踏まない。強くあること。それを心掛けてきた。大丈夫、大丈夫、親父のようには絶対ならない。〉
 ところが、この男、訓練校卒業のその日に、借金を抱える「ヤクネタ」という不倫相手に、半年ぶりに会いにいくという。それではお前の奇行親父と同じじゃないか。
 紅白歌合戦やアカデミー賞に出る人間が羨ましいか。ああいう華々しい人生を生きたいか。たいていはノーだろう。華は短い時間で、他の見すぼらしい時間には極端なギャップを味わう。だけど、それこそが芸能の、魑魅魍魎の世界だ。ヤクザか堅気かとはそういうことだ。
 私は、二四歳のとき、知り合って一週間目の二〇歳の女性と駆け落ちをする。まだ、アパートを引き払う前に、関東一円の地図を広げて、どこにしようかな、などと全く土地勘もなく、学歴も技術も資格もなく、勢いだけでとぐろを巻いていた。そこに父がやってきたのだ。のちに妻となる女性に会社(三越百貨店)を退職させ、彼女の自宅に忍び込み服や身の回り品を引っ張り出してきていた。彼女の親には電話した。「お前は誰だ」「凪というものだ」「娘を出せ」「嫌だ」「ふざけるな。誘拐だ」「娘さんはもう帰らない」。そのケンカ腰のやり取りで、北海道の自宅の連絡先を教えていた。電話が北海道に行ったことは予想できた。しかし父が、まさかこんなに早くに飛んでくるとは思わなかった。
 ところがだ。寿司折をもってやってきた。このときの父子のやり取りを見ていて妻は驚く。初めて会う私の父に対して、私は持ってきた寿司折を投げつけたのだ。「帰れ!」
 何が起きたのか。一緒にいた女性は母ではない。愛人だ。まだ、あの女と切れていなかったのか。私はその女は魅力的でもあり、嫌いな人ではなかったが、母が可哀そうであった。
 父と女はさっさと帰った。私はそう思っていた。あれから三五年が過ぎて聞かされた話はびっくり仰天だ。あの年、黒船ホーナーがヤクルトに入団して猛威を振るっていた。神宮球場を始め一〇日間以上の大名旅行の末に帰宅したという。いやその後も、私とは無関係に、今度は弟の件を利用して東京にやはり不倫旅行をしていたという。もっと言うと母は、新婚旅行の途中で、待ち合わせを競馬ですっぽかされ、一人で帰ってきた。そのときのことを今の今まで六〇年間、誰にも打ち明けることが出来なかった。今さら息子の私に語る。もうそれ以上は聞きたくない。聞かなければ良かった。
 そんな帰郷であった。
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